2022.02.14
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以前、ブログ「都製餡と山梨製餡」で都製餡の本家である山梨製餡についてご紹介しましたが、
今回は本家・山梨製餡の創業者である山梨福一に焦点を当て、都製餡の歴史についてお話したいと思います。
山梨福一は明治32年9月静岡県にて山梨家の三男として生まれました。
福一の近所では、北条作平という方が大阪市の北川製餡所で奉公後、
名古屋で独立して製餡業をはじめ十年ほど経過して大変な成績を上げており、
大正6年には福一もこの北条製餡所で3年半、奉公人として働いておりました。
福一は将来大学へ行くかアメリカへ行くか悩んだ末、
思い立って名古屋行の切符を買い、名古屋の問屋にて働きはじめましたが、
自分には合わないと感じ暇をもらってそのまま京都へ行きました。
そこで五条大橋までの途中にあるお菓子屋さんの戸外に餡粉(あんこ)屋から配達された餡が置いてあるのを見かけます。
聞いてみると1升600匁が名古屋では22銭なのに京都では32銭で、名古屋と京都で値開きをしており、
10銭も違いがあることがわかりました。
“餡といえば奉公人として働いた経験もあるし、腕に覚えもある。
ここで餡粉(あんこ)屋をすることが得策だ” とひらめいたのです。
のちに福一は京都に赴いたことを「幸福の第一歩になったのだ」と思ったほどでした。
京都に伝手がないながらも住み込みで働きながら場所を探し、製餡機を手配したり、
その他に必要なものはすべて手製で仕上げたりし、
ついに大正9年に京都・東山三条で山梨製餡を創業いたしました。
それからは設備は悪いながらも注文は多く、戦争景気(第一次世界大戦)で商売は大層順調でした。
昭和20年8月には福一の次男である茂が製餡業見習いを開始しました。
当時は戦時中につき、強制閉鎖を経験し、配給品の製粉等を行っていました。
昭和25年11月茂が本家・山梨製餡より分家し都製餡初代社長として創業し、
昭和28年2月都製餡株式会社を設立いたしました。
こうして山梨福一とあんこの出会いから都製餡の歴史ははじまったのです。
※出典:山梨福一が自費出版いたしました『七〇年のあゆみ』より一部抜粋しております。